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東京高等裁判所 昭和55年(ラ)1288号 決定 1981年3月06日

抗告人 神奈川労働基準局長 原敏治

指定代理人 石井宏治 外三名

相手方 古川政雄こと崔健鎬

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

(申立と理由)

抗告代理人は「原決定を取消す。本件文書提出命令の申立を却下する。」との決定を求め、その理由は、別紙のとおりである。

(事実関係)

記録によれば、被抗告人は、昭和五〇年六月一六日就労中、業務災害により受傷し、加療の結果、昭和五一年九月二一日治癒し、昭和五二年三月一八日横浜南労働基準監督署長から障害等級第一四級相当額の障害補償給付を支給する旨の処分を受け、右処分に対し抗告人所管の労働者災害補償保険審査官(以下審査官という。)に審査請求に及んだこと、右審査につき、被抗告人の受診した医師の診断書その他の意見書や診療記録が多く提出されたが、審査官はさらに、職権で労働保険審査官及び労働保険審査会法(以下審査官法という。)一五条一項三号により医師三原鏡(以下事件医師という。)に対し鑑定を求め、同医師が被抗告人を診断し、その結果及び被抗告人に対する他の医師の診断意見書その他の診療記録並びに医学上の文献等に基いて作成した回答書が本件提出命令の対象たる鑑定意見書(以下本件文書という。)であること、本件文書は審査官の決定に引用され、現に抗告人がこれを所持すること、本件文書提出命令申立事件の基礎たる訴訟は、被抗告人と医療法人博生会との間の原裁判所昭和五四年(ワ)第四八四号損害賠償請求事件であつて、被抗告人の主張するところは、被抗告人が前記加療のため同法人の病院に入院中に受けた脊椎造影は、その必要性がなく、かつ、その実施上過誤があり、同法人の診療契約の債務不履行があつたというべきところ、右造影剤の副作用により激しい頭痛等に襲われ現に就労不能であつて種々損害を被つた、というにあることが認められる。

そこで、以上の事実に基いて、抗告理由につき順次判断する。

(抗告理由二について)

本件文書は、労働者災害補償保険法(以下労災保険法という。)の障害補償給付に関する請求の審査過程において作成されたものであるが、右給付請求・審査において医師の診断結果が重要な意義をもつことはいうまでもないが(労災保険法四九条及び同法施行規則一四条の二第三項参照)、法は審査官が従前の医師の診断結果にかかわらず、さらに申立てにより又は職権で鑑定人に鑑定させることを認めているのであり(審査官法一五条一項三号)、本件においても審査官は、被抗告人の提出にかかる従前受診した医師の診断書のみに依存せず、さらに、本件医師に受診させる必要を認めて同医師にその鑑定を命じたものであるところ、審査官法一五条によると、障害補償給付請求者たる被抗告人は審査官の指定する医師の診断を受けるべきことを命ぜられることがあり(同条一項五号)、これに従わないときは、審査にかかる給付を拒まれる結果となる場合がある(同条五項)のであるから、被抗告人は審査官の命により本件医師に受診し、本件文書はその診断結果に基くものということを妨げない。

およそ、医師の作成する診断書その他の意見書は、特段の事由なく、あるいは、これに牴触する他の医師の診断書その他の意見をもつてしない限り、その内容が医師の専門的な経験能力と識見に基き、客観性を有する正当なものとして扱われるのが通例である。また、審査官法四三条本文は、再審査請求手続は原則として公開すべき旨を定めているから、本件文書はその限りにおいて後日の公開の予想されている文書であるといいうる。

以上の意味において、社会通念上権威をもつものとして扱われ、かつ審査官の決定に引用された本件文書は、被抗告人と抗告人の審査官との法律関係につき作成された文書であつて、単に抗告人ないし審査官の自己使用のために作成された内部文書に過ぎないものということはできない。

(抗告理由三について)

本件文書は、さきに述べたとおり医師がこれを作成したものであつて、被診者たる被抗告人の利益を離れて作成者たる医師がこれを秘匿すべき理由は他にこれを見出すことができない。たしかに、本件文書は審査官の求めにより作成されたものであるから、本件医師がその作成に際し、将来本件文書の作成ないし内容に関して被診者と第三者との間の争いにかかわることもありうると予期したとは必ずしもいいえないのであるが、行政庁と同様にその公正さが社会的に認められる医師については、審査官法一五条や労災保険法四六条以下の定めによつて、質問調査等に応じたその他の第三者に対するとは異なり、所論の協力確保のための要請は、これを法的に認める余地がないものといわなければならない。

およそ医師の診療を受けた者にとつて当該医師に対し診断結果を明らかにするよう求めることは、他に代替する術のない重要な利益であつて、医師法一九条は、医師の義務の一内容として反面から、受診者の診断書交付を求める権利を規定している。他方、医師は、専門的職業にある者にとつての社会的責務として、受診者以外の第三者に対して診断結果を明らかにせねばならぬ場合があり、労災保険法四九条が診療を行なつた医師に対し、報告ないし診療録提出の義務を規定しているのはその一例である。そして、本件文書は、実質上右の報告が文書の作成提出によつてなされたものということを妨げないが、診察当時専門的知見によつて記載されたその内容は、今日改めて診療録に基づく口頭報告を求めたとしても、容易にはこれを超えられないであろうこと思い半ばに過ぐるところである。

かような意味において、本件文書の提出よりも本件医師の証人尋問のほうが事実把握の方法としてより適切であるとの抗告人の主張も、また、証人尋問という方法がある以上、文書提出命令という形式での立証が許容されなくなるとの抗告人主張も、採用しえない。 また、抗告人は、文書作成者としての医師の同意をいうが、文書を提出させた行政庁が、給付請求者すなわち受診者以外の第三者との関係でこれを使用し、ないし右第三者に使用させる場合に、受診者や医師の同意を得る必要があることは格別、本件では、被抗告人すなわち受診者本人がその利益のため本件文書を援用しようとして提出命令を申し立てているのであり、さきに述べたように、同人の利益を離れて医師としてこれを秘匿すべき筋合はないのであるから、その同意を云々する所論は、首肯し難い。

以上検討して来た種々の利害を衡量した結果として、本件文書の原裁判所への提出命令は相当というべきであり、その必要性がないとの抗告人の所論は結局採用できない。

(結語)

以上のとおり、本件文書は抗告人の所持する民事訴訟法三一二条三号後段の文書であつて、前記訴訟事件の審理上その提出を必要とするものというべきであるから、抗告人にその提出を命ずべきところ、これと同旨の原決定は相当であつて本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 井田友吉 裁判官 高山晨)

(別紙)

抗告の理由

一 原決定

原裁判所は、原告古川政雄こと崔健鎬・被告医療法人博生会間の横浜地方裁判所昭和五四年(ワ)第四八四号事件について、昭和五五年一一月一〇日、抗告人に対し、「右神奈川労働基準局長は昭和五五年一一月二八日までに古川政雄こと崔健鎬についての医学的所見と造影剤の関係についての三原鏡医師作成の鑑定意見書を提出すること。」という内容の決定をなし、右決定の謄本は同月一二日抗告人に送達された。

二 民事訴訟法(以下「法」という。)三一二条三号(以下、単に「三号」という。)と本件鑑定意見書との関係

1 三号前段の「挙証者ノ利益ノ為ニ作成セラレ」た文書とは、後日の証拠のために挙証者の地位や権利ないし権限を証明するため作成された文書及び挙証者の権利義務を発生させる目的で作成された文書を指すというのが一般的見解であり(別添の大阪高裁昭和五五年七月一七日決定、法律実務講座・民事訴訟編四巻二八四ページ、注解民事訴訟法(五)二〇〇ページ等)、また、三号後段の「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタ」文書とは、挙証者と文書の所持者との間の法律関係そのものを記載したものには限られないとしても、文書を限定することによつて、挙証者と文書の所持者との利害の調整を図ろうとしている三号後段の趣旨に鑑みれば、法律関係の成立過程で当事者間(挙証者と文書の所持者との間)に作成された、右法律関係に相当密接な関係を有する事項を記載したものに限るものと解される(前掲大阪高裁決定)し、まして、文書の所持者が単に自己使用のために作成したものは、三号後段の文書には到底該当しないのである(前掲大阪高裁決定、法律実務講座・民事訴訟編四巻二八五ページ、注解民事訴訟法(五)二〇二、二〇三ページ、菊井・村松・民事訴訟法II三七九ページ等)。

2 ところで、本件鑑定意見書は、労働者災害補償保険の給付に関する決定についての被抗告人の審査請求を受けて、神奈川労働基準局の労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)が、審理を行うために必要なものとして、労働保険審査官及び労働保険審査会法一五条一項三号に則り、職権で行わせた鑑定の結果を記載したものにすぎないのであるから、右1で述べた意味での「挙証者ノ利益ノ為ニ作成セラレ」た文書に該当しないことは明らかである。そして、三号後段との関係においては、右鑑定意見書は、文書の所持者が単に自己の使用のために作成した(第三者たる医師に作成させた)ものであるから、三号後段の文書には該当しないというべきであるし、そもそも「法律関係に相当密接な関係を有する事項を記載したもの」とはいえないから、いずれにしても、「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタ」文書とはいえないのである。

三 本件鑑定意見書の必要性等

法三一四条一項は、文書提出命令を発する場合を「文書提出ノ申立ヲ理由アリト認メタルトキ」に限つているから、同項は当該文書が当該訴訟において真に必要なものであることを要する趣旨を含むものと解され(注解民事訴訟法(五)二一八ページ、菊井・村松民事訴訟法II三八二ページ等)、また、同条二項は第三者に対する文書提出命令がとくに慎重になされるべきことを宣言したものということができる。そして、法三一二条が提出すべき文書の範囲を制限しているのは、挙証者と文書の所持者の利益を衡量しながら所持者の真実発見の要請に協力する義務を定めているからにほかならないことも併せ考えると、とくに対第三者の関係においては、他の証拠方法が存在する場合や、他の方法によつて証拠資料を収集することができる場合にまで文書提出命令という形式での立証方法を許容するものでないというべきである。

そこで、本件についてみると、本件鑑定意見書は、医師が診断しカルテに基づいて作成した文書であるから、カルテに基づいて医師に証言を求める方法が存在し、より具体的な事実をは握する方法があるのである。

そして、右鑑定意見書は、前述のように、労災給付の目的で提出を依頼した文書であるから提出させた目的(行政手続)以外に使用する場合、あるいは第三者に使用させる場合は行政庁と文書作成者(提出者)との信頼関係あるいは文書作成者の秘密及び権利擁護の見地から同人の同意を得て初めて提出できるものといわなければならない(本件においては同意は得ていない。)

のみならず、文書提出命令を発するに当たつては、文書の所持者の利益及び文書を提出することによつて失われる公益について十分の配慮がなされなければならない。

すなわち、本件は前述のとおり審査官が労災保険施行のため職権をもつて収集した文書に係るものであるが、同様の必要から労働者災害補償保険法は、労働災害について適正な補償をすべく、行政庁に対し質問審査等(同法四六条、四七条、四七条の二、四八条及び四九条)の権限を与えこの質問審査に応じない者に対しては罰則をもつて対処し得ることとしている(四七条の二を除く。)。このようにして収集作成した行政手続文書は関係者の秘密あるいはプライバシーの保護の前提で成り立つているものであるから、仮に、文書提出命令によつて、これらの書類等が安易に第三者の争いの場に公開されるときは、行政機関の公平、中立を信頼してこそ積極的に協力を惜しまない関係者は、私人間の争いにかかわりあうことを懸念するなど様々な事情で真実を述べる等の適切な協力をしてくれなくなり、ひいて真実のは握が困難となる恐れがあることは明らかであり、このことによつて適正な補償をするという大きな公益が害されることになるのである。

このような結果を回避すべきことはいうまでもないであろう。

四 以上によれば、原決定は民事訴訟法三一二条及び三一四条の解釈を誤つた違法なものであるから、抗告の趣旨のとおりの裁判を求める。

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